Naoko Grünberg-Sakai ナオコ・グリュンベルク・サカイ 指揮者

三重県桑名市出身。デトモルト音楽大学指揮科、広島大学教育学部音楽科卒業。広島大学在学中、大学合唱団にて指揮者としての歩みを始める。卒業後東京にて合唱指揮者栗山文昭氏の下、合唱指揮者として研鑽を積むと同時に、高階正光氏に指揮法を師事。2007年に渡独。

 

渡独後ロストックを経てドイツ国立デトモルト音楽大学指揮科に学ぶ。在学中DAAD奨学金(ドイツ学術交流会)、GFF(デトモルト音楽大学特待奨学金)、学長特待奨学金を授与。2013年モルドバ国際指揮コンクールにて2位受賞。2015年東京国際音楽コンクールセミファイナリスト。

 

2012/13シーズンはゾーリンゲンのベルギッシュ交響楽団にて、音楽監督ペーター・クーン氏のもとアシスタントコンダクターを務め、自らも25のコンサートを指揮し、同オーケストラと歌劇<<リゴレット>>にて満場のスタンディングオベーションの中、オペラデビューを遂げた。またデトモルト打楽器アンサンブルを指揮し、演奏はドイツラジオにて全国放送され好評を博した。現在は、ドイツ国内外にて若手指揮者、コレペティトアとして幅広く活動している。2010年よりコンチェルティーノ・デトモルトの常任指揮者。

 

また合唱指揮の経験を活かし、ビーレフェルトオペラ劇場オペラ合唱団、デトモルトオペラ研修所、デトモルトオラトリオ合唱団、ビーレフェルトオラトリオ合唱団等も指揮。現在ビーレフェルトコンサート合唱団音楽監督。

 

これまでに、ベルギッシュ交響楽団、西ドイツ放送交響楽団、ライン国立管弦楽団、北西ドイツ交響楽団、西ザクセン交響楽団、デトモルト州立歌劇場オーケストラ、ハルバーシュタット市立歌劇場オーケストラ、ハノーファー室内オーケストラ、ミュンスター管弦楽団(以上ドイツ)、モルドバ国立フィルハーモニー(モルドバ)、ヴァーザ交響楽団(フィンランド)、カメラータ・アントニオ・ソレール(スペイン)ソフィア・フェスティバルオーケストラ(ブルガリア)、ブダペスト・ドナウ交響楽団(ハンガリー)を指揮した。

 

指揮をカール・ハインツ・ブレメケ、ヨルマ・パヌラ、ジャンルイジ・ジェルメッティ、ウラデミール・ポンキン、ダニエル・ライスキン、クリストフリード・ゲッカリッツ、高階正光、各氏に、合唱指揮を栗山文昭、アンネ・コーラー各氏に、ピアノをハルトムート・シュナイダー、ブルクハード・ビューメ、立川恵子、梶田正子、草間真知子各氏に師事

 

 

坂井直子さんへのインタビュー

 

編集パートナーの朝倉です。

201213 シーズンのベルギッシュ交響楽団アカデミー生として、そして同じく同交響楽団音楽監督ペーター クーン氏のアシスタントコンダクターとして、多くの候補者の中から選ばれた期待の若手女性指揮者、坂井直子さんにお話を伺いました。気さくにお話をしてく ださる中にも、言葉の端々に指揮者として自己を厳しく見つめ、物事に真摯に取り組んでいらっしゃる様子がとても印象的でした。

 

音楽家を志すきっかけとなったのはどのようなことからですか。

 

4歳からピアノを始めていたものの、振り返ってみると「気がついたらここにいた。」という感覚です。

  

大学合唱団の指揮が指揮者への道の第一歩だったそうですが、そこからオーケストラ指揮者になろうと思われた経緯を教えてください。またなぜドイツに渡ろうと思われたのでしょうか。



広島大学で合唱団の学生指揮者をしていた当時、近隣の松江に合唱指揮で名高い栗山文昭先生がご指導にいらっしゃったのがきっかけです。その時を境にすっかり栗山先生の指揮に魅了され、大学卒業後には上京し、栗山先生のもと指揮の勉強を続けることとなりました。

 

約 5年間の東京生活は中学校の講師や、吹奏楽団の指揮指導を行いながら、栗山先生のアシスタントを務めたり、自身もまた合唱活動に取り組んでいました。栗山 先生の勧めで、先生ご自身の師でもあるオーケストラ指揮法で著名な高階正光先生のもとで学ぶうちに、オーケストラ指揮についてどんどん興味が深まり、海外 へも目が向くようになっていきました。

 

具体的にヨーロッパに渡ろうと思い始めたのは、ハンガリー南部セゲドでのマスターコースからです。一ヶ月の滞在を通し、その独特な土地の匂い、土臭さや風の匂いから、ハンガリーの作曲家 バルトークBéla Bartókの音やリズムのもつ起源のようなもの、そして作曲家や作品の原点といったものを身を以て直に感じることができました。

 

ま たブタペストにて別のマスターコースを受講した際には、初めてプロのオーケストラでベートーヴェン『交響曲第7番』を全曲指揮させてもらう機会に恵まれた のですが、そのとき実際に身体を通して得たプロのオーケストラの響き、そして大好きなベートーヴェンを指揮する感覚は言葉に変えられないほど特別でした。

 

このような経験の数々によりヨーロッパへの興味がどんどん増していき、それと共にマスターコースで先生から「日本をでてヨーロッパに来なさい。君なら沢山学べるだろうから。」と助言をいただいたことも、私の背中を大きく押してくれた一因です。

 

これまでで印象に残っているコンサートは何ですか。

 

デトモルトで行った震災のためのチャリティーコンサートです。デトモルト音楽大学の学長にアポイントメントも取らずに突撃直談判しコンサートの打診、そして実現の運びとなりました。最終的には大学と地元3大ライオンズクラブの全面協力のもと、40,000ユーロの寄付を集めると共にコンサートも大成功に終わり、感慨深い経験となりました。

 

私はこのプロジェクトを通して、学長をはじめとするデトモルト音楽大学に、そして好意で日本のために名乗りを挙げて演奏してくれた仲間たちに心から感謝をし、この音大で学べたことを誇りに、幸せに思います。コンサートは黙祷で始まり、黙祷で終わりました。

 

す べてのプログラムが演奏された後、アンコールで日本の『ふるさと』の演奏が行われたのですが、その演奏が終わったあとの独特な空気、そして総立ちの聴衆か らの本当に温かい、力のこもった拍手は一生忘れることができません。アンコール演奏中も故郷、遠い日本を想い涙が込み上げてきそうになりましたが「泣い ちゃいけない、泣いちゃいけない」と自分を制しながらのコンサートとなりました。

 

プログラムは前半に、打楽器、室内楽、ヴァイオリンソロによる 滝廉太郎、山田耕筰、武満徹、石井 眞木といった日本人作曲家による作品。後半は、デトモルト音楽大学のオーケストラと、同じく運営に携わったピアニスト大場温子さんと共に、ショパンのピアノ交響曲1番を演奏しました。

 

ドイツの音楽環境の魅力はどのようなことですか?

 

ド イツでは様々な場面で、個人の意見が大きく尊重されるところが日本と少し異なる部分かも知れません。例えばレッスンにおいて、ドイツではまず「何で?」 「どうしてそう振るの?どういう考えでそういう表現になるの?」と意見が求められます。それが例え、間違っていてもいいし、他人と違っていてもいい。しか しながら意見を持っていることがとても大切で、そういった意味で、どんな者の意見も受けとめてもらえるように感じられるのが、ドイツにいて素敵だなと感じ ていることです。

 

ベルギッシュ交響楽団 Bergische Symphoniker のアシスタントコンダクター、及びアカデミー生として現在どのような毎日を送っていますか。

 

基本的には音楽監督のペーター クーン Peter Kuhn 氏 にいつも付いて必要な事をするのですが、ホールリハーサルではソリストとオーケストラの音のバランスを確認したり、歌手のいる時には、オーケストラと演奏 することによって崩れてしまいがちな音程やテキストの間違い、細かい修正をします。シェフ(音楽監督)が事前にリハーサルをする場合はピアノで伴奏するこ ともあります。他には注意事項や変更事項を直接オーケストラのパート譜に書き込むような仕事もします。

 

オーケストラの中に混じって鍵盤楽器を弾くということもあって、今までで一番大変だったのは、カルミナ・ブラーナの本番一週間前に事務所から電話があり、ピアニストが一人足りないから弾くように、と。結構難しい曲だったので、真っ青になって”がんざらい”しました(笑)。アカデミー生として私が振るコンサートにはシュールコンツェルトSchulkonzert )といって、子供たちを対象としたコンサートも多くあります。子供たちの反応はとても素直で、ものすごくかわいいですよ。声が黄色くて耳が痛くなるくらいの拍手と喝采をくれます。いつも元気をもらえます。

 

2013年5月に行われるリゴレットで指揮をされるとのこと。そのオペラ公演に向けて、そして今後の抱負を聞かせてください。

 

オペラを振らせてもらえるようになるのは少なくとも10年後くらいになるかなと思っていたので、こんなに早くチャンスを与えてもらえてとても嬉しいです。次に繋がるよう、良い公演にしたいです。将来への抱負、展望としましては、やはりドイツのオペラ劇場で常にオペラに関わっていたいと思っています。

 

本 当に狭く厳しい世界ですし、日本人で、しかも女性で、と難しい面も多々ありますが、私を認めてチャンスを与えてくださる方がいる限りは、地道に目の前の事 をこなして少しずつ進んでいきたいと思います。それと同時にやはり日本人として、いつかは日本で振れたらいいな、という願いもあります。いままで応援し続 けてくれた家族や師匠、仲間に恩返しができれば、それほどうれしいことはないです。 

 

“目の前にあることに地道に取り組んでいくこと” そして “ 自分自身の考えを持つこと” を大切にしていらっしゃるとのこと。将来の夢は?の問いに「お嫁さんです。」と答えてくださる一面も。小さな身体にも満ちあふれるエネルギーと人を引きつける魅力を備えた坂井直子さん。若き女性指揮者の活躍から目が離せません。

15.2.13 MA

 

<新聞記事より>

“運命のモティーフはナオコ・サカイを大成功へと導いた。”

誰もが知るこの作品でサカイは南ヴェストファーレン州立オーケストラと共に、重量感があり、大胆で生命力に満ちた、魂を揺さぶるような迫力のある音楽を作り上げた。・・中略・・サカイの解釈は古い典型にとらわれず、脅迫的な災いをもたらす従来の運命とは違い、「ヘイ、この世界は私をどう評価する?」というな挑戦的な問いを投げかけているかのように見える。この挑戦はデトモルトの耳の肥えた観衆による鳴りやまない拍手喝采によって承認された・・中略・・全交響曲を完全暗譜で指揮し、オーケストラと観客を虜にした、この才能あふれる若手指揮者の今後が楽しみだ。”リッペ時事新聞社、2014220

 

 

“熱意のこもったエネルギッシュな指揮でベルギッシュ交響楽団を導き、ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずらを立体的に表現した。・・中略・・彼女のメルヘンの世界は続くくるみ割り人形によっても観客を魅了した。・・観客はスタンディングオベーションで感謝を示した。”レムシャイド新聞、20121015

“ベルレベック教会にて行われたクリスマスコンサートGloria in Excelsis Deoを導いたサカイは合唱、オーケストラのみならず観客も掌握した。・・中略・・90分の演奏ののち、感激し、揺り動かされた観客による拍手は数分に及んだ。”リッペ新聞、20121224

 

 

“持ち前の輝きでオーケストラのモチベーションを高め、レスピーギによって再現された16世紀のイタリア舞踊を色彩豊かに見事に描写した。”リッペ新聞、2011524

 

 

“瞬時に全ての歌手、オーケストラと意思疎通を図り、巨大な音楽を確信と共に輝き放った”リッペ新聞、2010113

 

 

“ナオコ・サカイは繊細な人間である。頭1~2つ分他の指揮者よりも小さい体をしており、そこに全てを凝縮させている。ところが、誰もが彼女の指示に耳を傾けるほどとても開放的だ。彼女の指示は明瞭で正確である。そして同様に、全ての演奏家に楽しみを見いださせてくれる。このエネルギーに満ちている若い指揮者は容赦なく説き伏せる。彼女と共なら、やる気になれる。コンサートに向けたリハーサルも常に喜びとユーモアに満ちている。彼女の茶色い目が輝き、彼女の手が指揮棒を持つと;始まりの合図、モーツァルトのオペラ魔笛の序曲が始まった。・・中略・・先週行われたコンサートではフォーレ作曲”マスクとベルガマスク組曲”、ベートーヴェン作曲ピアノ協奏曲第2番などがヴェッべル教会にて演奏され、拍手喝采を得た。・・中略・・来月グラッペギムナージウムで行われるコンサートでは、モーツァルトのオペラ”魔笛”より抜粋をデトモルト音楽大学声楽科学生と共に演奏される。活発で素敵な彼女に磨き上げられたオーケストラの音楽を楽しみたい人は、一度彼女たちの演奏会に足を運んでみてはいかがだろうか。”リッペ時事新聞社、2012526日特集記事