茨田 通章 ヴィオラ奏者

Michiaki Manda

1963年大阪市生まれ。4歳の時に、兄が習っていたピアノの先生のご主人がバイオリンの先生であったという縁でバイオリンを始める。小学校1年生の時にバイオリンを1年ほど中断するものの、小学校2年生の時に、母親の友達の子供がバイオリンを習っていたことに影響を受けてバイオリンを再開。

 

中学生の終わりの頃、両親が音楽の専門学校への進学を望んでいなかったため、普通高校受験の際にも再びバイオリンを中断。高校生の時には将来進む道を音楽分野と決め、一時は指揮者を目指す。その頃、身長が180cmと高かったことなどもあり、バイオリンよりもビオラを勧められていた。そして音大の受験では、バイオリンで2度受験に失敗するものの、ヴィオラで1度で入学。

 

東京芸術大学音楽学部器楽科卒業、ヴィオラを浅妻文樹氏、菅沼準二氏に師事。同大学大学院修士課程修了後、NHK交響楽団に入団。92年同団を退団し、ドイツでの活動を目指す。ウィーンにて、以前より縁のあったヨゼフ・シュタール氏(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団首席ヴィオラ奏者)に師事。94年からドイツ・デッサウ市のアンハルト・フィハーモニー管弦楽団ヴィオラ奏者。最近はサクソフォン奏者としても活動している。

 

茨田さんの演奏(ユーチューブ)

Johannes Brahms, Klavierquintett f-Moll, 1. Satz (1. Teil)

 

茨田さんにインタビュー: 

お兄さんがピアノ、ご本人がバイオリン。ご両親も含めて音楽一家だったのでしょうか?

 

いえ、そうではなく、両親は戦後の貧しい中でそのようなゆとりがなかったことから、子供には音楽をやらせたいと考えていたようです。

 

小学校1年生の時は、どうしてバイオリンを中断されたのですか?

 

そのころ野球に夢中になってバイオリンの練習をしないので、レッスン代がもったいないからバイオリンをやめろと親に言われたからです。

 

NHK交響楽団の一人という素晴らしいポストをなぜ辞めたのですか?

 

学生の頃からドイツが好きで、いつかはドイツに行きたいと思っていました。そして当時、行くならもう今しかないと思い、観光ビザが3ヶ月しかないドイツと比べて、それが半年間あったオーストリアのウィーンの知人を頼ってドイツで活動できる準備をしました。そして縁あって現在のオーケストラに入ることになりました。

 

ヴィオラの奏者でもあり、サックスも吹かれるのですか?

 

5年ほど前に、お隣のおじいさんが私の職業を知っていて、サックスを習いたいと相談を受けました。同じオーケストラのサックスの仲間を紹介したのですが、その時に私も一緒に始めました。その後おじいさんは続かなかったのですが、私は続けて現在は仲間と一緒にジャズの分野でプロとして吹いています。

 

仕事がお休みの時はどのくらい練習をするのですか?

 

Max.で、ヴィオラ2時間、サックス2時間、クラリネット1時間、ピアノ1時間くらいです。オーケストラを引退しても、サックスは吹き続けようと思っています。

 

ドイツと日本を比べて、気に入られていることとその反対はどんな点ですか?

 

NHK交響楽団の時よりも、収入ははるかに下がっていますが、自由と時間があることが気に入っています。永住を決めて建てた家から職場まで車で5分。日本の通勤時間を考えると、楽器の練習時間を持てるという点で最高の環境です。

 

気に入っていないことは、同僚の中に一度そのポストを得てしまうと、その後はそれほど自分の演奏技術を磨いたり保持したりする努力をしない人もいて、それがひどい場合にはまわりのメンバーの迷惑にまでなってしまうことがある点です。

 

風邪をひかれているにもかかわらず、本日はインタビューを受けてくださいましてありがとうございました。

 

17.Apr.13 EK